私の特二式内火艇の公式キット製作における大きなテーマは、艇内のインテリアの再現でした。前回で述べた如く、キットにはインテリアパーツが一部しか含まれていないのに落胆されたSさんの様子を見て、作ろうと思えば作れるけれど、資料も写真も無い、と私が述べたのが事の始まりでした。
従来、特二式内火艇カミの内部構造や艇内のインテリアに関しては全く資料類が存在していないようです。現存する実車の内部を取材調査した事も未だに無いようで、詳細は不明のままです。
ただ、パラオのコロール島の現存実車を実測調査した際に艇内の一部も撮影したものが「グランドパワー」2011年10月号にまとめられており、現時点ではこれが唯一の公刊資料であるようです。
ですが、Sさんによれば、「コロールのカミは、戦時中の状態とは全然違います。失われた部分が多いですね・・・」との事です。Sさんは機関将校であり、今風に言えばエンジニアですから、自身の搭乗するカミに関しても操作と整備の両面にわたる詳細な記録をとっており、図面や見取り図も細かく書いていました。
それらの図面や見取り図などは機器や操作部ごとに分けて描かれているので、キットのインテリア制作の基本資料とするために私がそれらを艇内の立体図に入れて描きまとめたのが上掲の図です。
これに、戦時中の修理部分や追加施工部分が加わりますので、Sさんに細かく教えていただきながら、艇内の各所の細部も再現すべく、基本設計図を何枚も書きました。
おかげで、カミの水陸両用車輌としての機構、戦時中の改修箇所も全て把握出来ました。
上図は、コロール島の現存車輌の内部を撮影したものです。手前の三菱製空冷直列6気筒ディーゼルエンジンは九五式軽戦車に使われていたものと同じですが、Sさんによれば、カミ向けに一部の機構を改造したり外したりしていたため、全く同じ状態ではなかったそうです。
例えば、戦車としての推進軸と内火艇用の推進軸とが別になっているため、その変換器が追加されています。また発電機や排水用ポンプのモーターなどもエンジンに取り付けていたそうですが、上図の現状写真ではそれらが全て失われています。
さらにパラオに配備されたカミが全て同じ内部状況であったのではなく、艇ごとに艇長および機関兵の判断にて色々と手を加えていたそうです。Sさんの艇も例外ではなく、排水用ポンプの位置を変更したり、艇内への浸水に備えて簡易甲板を張ったり、37センチ砲を25ミリ単装機銃に換装したのにともなって弾倉用の収納棚を設けたりしたそうです。
ですが、キットは外見上は知波単学園チームの西原の搭乗車の姿に作ることになっていたため、艇内の様子については、Sさんの艇が37センチ砲を装備していた時期、つまり25ミリ単装機銃に換える前の状態にすることに決まりました。Sさん曰く、「その時点での艇内が最も綺麗にまとまっていたと思いますね、弾倉棚も無かったしねえ・・・」でした。
その結果、製作したカミのインテリアです。艇内への浸水に備えて張った杉板製の簡易甲板も再現したほか、Sさんの艇だけに施されていた小改修も全て再現しました。
これらの製作工程およびSさんの教示内容については、製作記の記事にて述べる予定です。
残された問題は、現時点でまだ作っていないインテリアの一部のパーツです。そのパーツとは、37ミリ砲の砲弾の木箱です。カミの艇内における本来の弾庫は、7.7ミリ機銃の弾倉用の棚しかないため、37ミリ砲の砲弾はどうやって積んでいたのかが分かりませんでしたが、Sさんの証言により、木箱での収納であったことが判明しました。
上図の、サイパンで撃破された車輌の後や脇に置かれている木箱がそれです。米軍では敵の車輌を撃破した後に、危険防止のために残留の弾薬を全部外に出しておく場合があったことが記録からも知られますが、上図からもその状況がうかがえます。
おかげで、普段は車内に積まれて見えないカミの37ミリ砲弾木箱の様子がよく分かります。これを参考にしてブラ板などで作って艇内に入れる予定です。
Sさんによれば、カミ用の37ミリ砲弾は薬莢とあわせて6発ずつを木箱におさめていたそうで、それが22個、総計132発がカミの装備定数であったそうです。しかし、実際には砲弾の生産が間に合わなかったため、15個、90発しか積んでいなかったのだそうです。そして、木箱に入れて積み込んだのには、もう一つ重要な事情があったそうです。
その事情については、製作記の記事にて述べる予定です。 (了)