塗装後の組み立てを進めました。履帯を装着しました。今回のタミヤキットは履帯がベルト式ですので取扱いが楽です。
背面のワイヤー、ワイヤー固定具、排気管などののパーツを取り付けました。排気管網カバーには迷彩を追加着彩しました。
左側面に鶴嘴とスコップのセットを取り付けました。木製部分は44番のタン、金属部分は28番の黒鉄色で塗りました。
右側面にはジャッキとパールを取り付けました。ジャッキは55番のカーキで塗りました。パールは28番の黒鉄色で塗りました。
前照灯の内側を8番のシルバーで塗り、クリアパーツのレンズを付けました。その下の星章は9番のゴールドで塗りました。
背面の停止灯および三色信号灯を塗りました。上図では陰になっていて分かりにくいですが、停止灯と三色信号灯の右灯は47番のクリアーレッドで塗りました。三色信号灯の中央灯は525番の緑、左灯はクリアーオレンジです。
タミヤキットにはガルパンデカールがありませんので、今回は最近に発売されたモデルカステンの「ガールズ&パンツァー デカールVol.8」を利用しました。
この「ガールズ&パンツァー デカールVol.8」は最終章第2話の登場車輌のマークを抽選に構成されていますので、知波単学園の校章マークも豊富に入っています。知波単学園戦車部隊の製作には欠かせないデカールセットです。
知波単学園の九七式中戦車は車体に校章がなく、砲塔左右にのみ校章がマーキングされます。細見車も同様です。上図は砲塔左側面の校章です。
そして砲塔右側面の校章です。
デカール貼り付けが完了しました。後でつや消しクリアを軽く吹き付けて仕上げました。
右側の側面観です。同型の西絹代車と比べて分断色の黄帯に屈曲があまり無いので、見分けが容易につきます。
左側面を斜め後ろから見ました。姿形を小さくコンパクトにまとめる日本軍戦車の典型的なデザイン傾向をよく示しています。他国の戦車に比べて車高も低い印象がありますが、本来は歩兵支援戦力として設計され、歩兵を乗せて行動する場合も想定されていたためだ、という証言があります。
正面観です。堂々とした鉄獅子の威圧感がなかなかのものです。日本軍戦車も捨てたものではないな、と改めて感じました。
20代の後半期に太平洋戦争戦跡への遺骨収集事業に参加していた頃、元米軍兵士の方々とも交流があって経験談を聞く機会に何度が恵まれました。
その際に、米軍兵士からみて日本軍戦車はどのように見えましたか、という意味の質問をしたことがありました。すると相手の老人は肩をすくめて手を振りつつ、「出てくれば、大変な脅威だったよ、特に我々歩兵にとってはね。友軍の戦車が居れば話は別だけどさ」と答えました。
戦力的には弱体だったという評価を聞きますが、と問うと、「ノン、ノン、とんでもない、それは戦車同士で撃ち合えば、の話だよ。歩兵からしたら日本軍戦車の榴弾というのは恐怖だった。あれは迫撃砲や手榴弾より怖かった。何しろ、我々の方向に狙いを定めて撃ってきたのだから」と当時を思い出すかのように眉根を寄せるのでした。
その証言は、日本軍戦車兵の述懐談によっても裏付けられました。パラオに展開した帝国陸軍第14師団戦車隊の元戦車兵の話でも、戦車の携行砲弾の4割までは榴弾と指定されていたが、白兵戦主体の近接戦闘を想定して5割ぐらいにしていた車輌も多かった、という内容でした。
戦車だからといって対戦車用の砲弾を装備していても、実際には対戦車戦闘があまり発生せず、殆ど意味が無かったそうです。対歩兵の戦闘が多かったため、榴弾の少なさが仇になって歩兵に撃破された例が多かった、という話でした。
なので、榴弾を撃っていけば、米軍の進撃を一時的にでもくい止め得る、という認識が当時はあったようです。
似たような話を、パラオで戦った帝国海軍特二式内火艇カミの艇長だった方にも聞きました。各地の戦場でカミが全て撃破されて乗員は皆戦死しているが、それはカミが実戦では水際での防御線に配置された場合が多かったからだ、という話でした。上陸してきて交戦相手となる米軍は海兵隊なので、歩兵主体であり、それに対して徹甲弾や通常弾を撃っても戦果は限定的であり、榴弾が無いと防御効果はあまり無かった、ということでした。カミの砲弾には、もともと榴弾は含まれていなかったそうです。
なので、その艇長さんのカミも、海上哨戒任務に配された事で徹甲弾や通常弾は無用となり、空襲対策として現地改造で砲塔の37ミリ戦車砲を撤去して25ミリ連装対空機銃に換えたのだそうです。
25ミリ対空機銃の弾は一定の高度になると炸裂するため、水平に撃てば榴弾のような効果があると見込まれたそうですが、実際に敵潜水艦に遭遇して交戦した時は、射撃速度の速さと弾幕効果のほうが大きかったそうで、数分で命中弾多数を確認して撃退したそうです。敵機の襲撃にも何度か遭ったが、対空機銃に換装してあったお蔭で撃退したそうです。37ミリ戦車砲のままで徹甲弾や通常弾だったら無力だったな、というお話でした。
九七式中戦車が本来は歩兵支援戦力として設計されていたことは、砲塔背面の機銃を見てもうかがえます。歩兵との近接戦闘も想定して背面装甲も傾斜させてあり、実際の戦闘では歩兵陣地に肉薄して突破する作戦が多かったため、随伴歩兵が効果的に展開しなかった場合、敵歩兵は戦車に後ろから近寄って攻撃を加えるケースが多かったそうです。
だから、日本軍戦車は、他国の戦車と比べると背面に弱点となるエンジンの吸排気口があまり無く、天板や側面に点検ハッチが付けられる傾向があったのだ、ということです。大陸での中国軍相手の作戦戦闘が長かったため、その戦訓が反映されていた、という意見もあるようです。
ところが太平洋戦線での米軍は対戦車装備が豊富でバズーカ砲や対戦車ライフルを駆使して遠距離から縦横に日本軍戦車を捕捉して攻撃してきましたから、戦車ではなく歩兵に一方的にやられるケースが多かったそうです。悲しい歴史です。
ですが、ガルパンの戦車道においては、相手は戦車のみです。榴弾が無いとどうにもならないとか、バズーカ砲や対戦車ライフルで一方的に撃破される、などという場面は有り得ません。
以上で、知波単学園チームの二番槍を務める細見の搭乗車、九七式中戦車チハ(旧砲塔)が劇場版仕様にて完成しました。製作期間は、2019年8月10日から2020年2月20日まででした。組み立ては8月17日に完了し、それから半年ほど保管したのち、2020年2月5日から西絹代車とともに塗装にとりかかりました。迷彩塗装を一色ずつ塗って乾燥させ、更に1日寝かせた後に次の色を重ねる、という方法でゆっくり進めましたので、塗装だけで12日を要しました。塗装後の組み立てには1日を要しました。
使用キットはタミヤです。ファインモールドの公式キットや元キットが品薄になってきて店頭でも通販でも入手困難になっていた時期に、タミヤ製品だけはかなり在庫があったようですので、それで劇中車を作ってみる、というテーマが自然に提起されてきたため、今回の製作となりました。
ただ、タミヤのキットで作る場合は砲塔の交換にともなう改造が必須とされていました。従来は模型誌等でも砲塔の穴を埋めて削って移動させる、という難度の高い方法しか紹介されておらず、初心者クラスが大半を占めるガルパンモデラーにとっては相当の障壁となっていたのが実情でした。
その砲塔交換を、もっと別の楽な方法で解決出来ないか、という問題意識と、同車輌のメーカー毎のキットの比較検証を試みる、という二つの観点から今回の製作にチャレンジした次第ですが、成果は予想以上でした。砲塔の交換がブラ板2枚だけで簡単に出来ることを実証したのも良かったですが、それ以上にタミヤ製品のほうも劇中車とほぼ一致していてガルパン仕様への工作が一、二ヶ所にとどまる事を確認したのが、一番の成果でした。
しかもタミヤ製品は現在でも履帯がベルト式ですので、初心者クラスにとっては有り難いほどに組み立てが楽です。
以上の点をふまえると、タミヤキットでも、モデルカステンのガルパンデカールセットと合わせれば、容易にガルパン劇中車の再現製作が出来ることになります。取扱いが簡単で、かつストレート組みでも楽しめますので、公式キットに頼る必要もありません。むしろ、知波単学園チーム車輌の入門用適応キットとしては最適といえましょう。